@article{oai:bunka.repo.nii.ac.jp:00000695, author = {糸林, 誉史}, journal = {文化女子大学紀要. 人文・社会科学研究}, month = {Jan}, note = {植民地体制は, 植民地支配者と被植民地支配者の両方に, 消しがたい痕跡を残す本質的なものであり, 植民地体制は, 植民地住民だけでなく植民地宗主国人をも徹底的に改編してゆく過程であった。英領マラヤにおいても嫡民地体制は, 西洋と原住民社会, 白人と有色人, ムラユ人と非ムラユ人, といった範疇を作り出してきただけでなく, マレーシア独立後も, エスニシティや国民という同一性を構成するよで護主主な役割を巣たしてきた。しかし, ポストコロニアリズムの視点からは, このような範略や同一性を懐疑せざるをえない。なぜなら植民地体制における範疇を, 分析の慕本として無批判に受け入れる研究は, 密かに植民地体制を再認し保存しているのではないかという疑いからである。本稿では, シンガポールにおける多人種主義とムラユ範疇の構築性を記述するための予備的考察として, まず植民地体制における人口センサスにおいて, 植民地住民の人種範疇の変還を見た上で, 英領マラヤに駐在したこ人の植民地行政官の著作を通じて, ポストコロニアリズムの視点から植民地宗主国人の植民地主義イデオロギーを読みとる。}, pages = {59--73}, title = {イギリス植民地期における多人種主義とムラユ性の構築}, volume = {12}, year = {2004} }