@article{oai:bunka.repo.nii.ac.jp:00000669, author = {久保田, 文}, issue = {7}, journal = {文化女子大学紀要. 人文・社会科学研究}, month = {Jan}, note = {今世紀中葉に,アメリカ文芸批評の中心的人物であったPhilip Rahvは,論文「ペイルフェイスとレッドスキン」において,James,Melville,Hawthorne,Dickinson,Eliotといった貴族的知識人をPalefaceと呼び,その対立的立場にあるRedskinとして,Hemingway,Dreiser,Steinbeck等を挙げた。しかし,今世紀も終焉にむかう今,特に女性研究者達にとって,この分類に物足りなさを感じるようになってきた箇所があることも否めない。本論文の前半では,HemingwayのRedskin性が仮面的ポーズでもあったことを指摘すると同時に,Diana Trillingが,1950年代にあっては,夫Lionel Trillingに諦めるようにすすめられた,クリテイシズムのある試みに思いを馳せながら,考察を繰り広げてゆきたい。本論文の全容は,Hemingway,Hawthorne,Steinbeck三者の文学を論じた上,文学者におけるPaleface的側面とRedskin的側面の統合に関して,見直すものであるが,紀要本号には,論文の前半,"Hemingway:命を呪った文豪"の項を寄せる。, Article}, pages = {7--18}, title = {ヘミングウエイ:命を呪った文豪}, year = {1999} }