@article{oai:bunka.repo.nii.ac.jp:00000609, author = {勝山, 祐子}, journal = {文化学園大学・文化学園大学短期大学部紀要}, month = {Jan}, note = {フォルチュニィは間接照明を発明しクーポール状の舞台背景幕を開発、パリにあったべアール夫人の私設劇場に設置した。杮落としから間を置かずフォルチュニィの発明をドイツで商業化することになり、それが利便性の高い装置の開発を促したが最終的にはフォルチュニィを舞台装置の分野から遠ざけることになった。フォルチュニィはパリでダヌンツィオに二度にわたって協力した。一つが実現しなかった「祝祭劇場」の建設。もう一つが1911 年の『サン=セバスチャンの殉教』の上演で、フォルチュニィは照明を担当したとされる。この公演を企画したのがアストリュックでバレエ・リュスのプロデューサーでもあり、1913 年にシャン=ゼリゼ劇場を創立した。この劇場はオール電化で間接照明も備えてあった。バレエ・リュスの美術で知られるバクストはこの公演にも参加したが、グレフュール夫人の紹介でフォルチュニィと知り合い、共に照明装置を用いた舞台美術の製作に取り組んだとされる。以上からフォルチュニィの発明は少なくとも間接的にはバレエ・リュスに影響を与えたと言える。『花咲く乙女たちのかげに』で描かれる少女たちの行列は、変幻自在の照明を浴びて姿を変える群舞のダンサーに喩えられている。バレエは音楽と同様に「時間」に属する芸術であり、運動する「美」であるが故に認識は不可能だが、このような「美」の印象の連続こそ「時間」に属する芸術の本質なのだ。, 研究ノート, Research Note}, pages = {85--99}, title = {「花咲く乙女たち」の群舞 : フォルチュニィの舞台照明とバレエ・リュス、そしてプルースト}, volume = {50}, year = {2019} }