@article{oai:bunka.repo.nii.ac.jp:00000599, author = {糸林, 誉史}, journal = {文化学園大学・文化学園大学短期大学部紀要}, month = {Jan}, note = {内発的発展論は,1970 年代半ばに西洋をモデルにした画一的な近代化論への反論として西欧と日本で提起された。鶴見和子の内発的発展論は,地域に特徴的な伝統と文化を踏まえた上で,地域の住民が主体となって取り組む点に特徴がある。1990 年代になると,EU 圏において、持続可能性と地域資源に着目しつつ,地域の内と外をつなぐ中間組織やパートナーシップと関連づける「ネオ内発的発展論」が提案された。一方で,内発性が原則化・政策化されて地域の発展を事後評価する指標となるなど,従来の開発理論と実質的に同等ではないかとの疑問も生じる。  本稿の目的は,鶴見和子の内発的発展論の再構築を目標として,内発的発展と外来型開発の対立だけでなく,参加型開発や地域活性化の持つ矛盾を問題として引き受けることにある。そのひとつの方法が費孝通の模式論(発展モデル)とその主要なアクターの発展プロセスへの着目である。内発性と発展プロセスの「ズレ」を,研究者の位相の違いによる躓きではなく,内発性の社会的文脈の問題としてその社会関係構造を丹念に分析し,そこに孕む問題がどのように発展プロセスに作用しているかを考察することで,内発性形成の動態的な把握に向けた条件を明らかにしたい1)。, 研究論文, Research paper}, pages = {1--10}, title = {内発的発展と地域社会}, volume = {50}, year = {2019} }