@article{oai:bunka.repo.nii.ac.jp:00000267, author = {佐藤, 泰子}, issue = {13}, journal = {研究紀要}, month = {Jan}, note = {江戸時代中期の国学者, 塙保己ー(1746-1821)の著書『武家名目抄』には, 惟子を解して按, かたひらといふはもと衣服のみならす凡ものを包み上に帊ひ下に敷く物をも又懸垂れてまきる物をも皆通して惟といふ裏なくしてひとひらなるものゝ通称なり然るを小袖のひとひらなるを打任せて惟子といふは猶袖の小袖練貫の小袖を袷といひ練貫といふか如し例の省語なり昔は絹にもあれ布にもあれひとへの小袖を帷子といひて五月五日より絹惟子六月七月は布惟子を着用しけり近世は絹惟子を単物又は単なといひ布のひとへに限りて惟子といふからに端午の朝きのふの袷に頓て布惟子をぬきかふることゝなりたりと記し1),また, 文化七年(1810)刊『玉かつま』にも「ゆかたびらかたびら」の項にかたびらとは, 今の世には, 布の衣のみ云へど, もとさには有らず。裏なく一重なるものを, 何にまれ, かたびらとは云ふなりとあり2),さらに,天保から嘉永年間(1830-50)に成る『近世風俗志』に守貞日今俗は麻布単衣をのみかたびらと雖も本来は麻布綿布より羅綾に至り何にても無裏の単衣を惣てかたびらとは云也とある3)。すなわち,惟子の字源は古く,小袖としての惟子は, 江戸中期頃までの意味内容は広範に渡り, 江戸後期には特定化されていくことを知る。本稿は, この推移の詳細および背景を洞察することによって, 近世模様小袖の動向の一面を即実的に明確化することを試みるものである。}, pages = {211--221}, title = {染織よりみた近世帷子の考察}, year = {1982} }