@techreport{oai:bunka.repo.nii.ac.jp:00001991, author = {東, 潮}, month = {Mar}, note = {4世紀末から5世紀代、広開土王・長寿王代に高句麗領域は遼東地域におよび、その版図内に高爾山城など高句麗山城が分布する。その時代の墓葬は遼寧省本渓や撫順市前屯・窪渾木墓群でみつかっていた(王増新1964)。2000年10月に遼寧省撫順市順城区で高句麗から渤海時代の墓群が発掘された。1号墓は壁画墓であった。さらに石台子山城周辺で高句麗晩期から渤海時代の墓葬が発掘された(瀋陽文考2006、遼寧文考2008)。  施家1号墓壁画の人物図像を分析し、高句麗・渤海の服飾、衣服制についてふれる。高句麗の平壌城を中心として五部五方の領域内の、北辺の遼寧省撫順施家壁画墓、そして南辺の小白山脈南麓の於宿知述干墓、さらに渤海の貞孝公主墓と比較する。, [2009年~2011年度文部科学省委託服飾文化共同研究拠点事業報告]}, title = {東アジア古代服飾の図像学と考古学 : 高句麗・渤海・新羅・日本の服飾}, year = {2012} }