@techreport{oai:bunka.repo.nii.ac.jp:00001983, author = {鈴木, 桂子}, month = {Mar}, note = {本論では、輸出用の「きもの」や、外国人用の土産物や観光芸術として売られてきた「きもの」の形をした物・「きもの」に関係した物をその視覚的表象も含め論じてみる。そして、このような「きもの」文化が国や文化の境界を越えていく様子から、20世紀の物質文化を研究するための新たな論理的枠組みを提示する試案としたい。もう少し具体的に言うならば、20世紀の海外旅行者を行動的なエージェントと位置づけることにより、歴史的、社会・文化的に条件づけられたエージェントが、自分たちの文化のバブルをまとい、そして国を越え、そのバブルを循環させる、といったモデルを想定している。そういう国際的な文化の循環が、「きもの」文化にどのような影響を与えたのかということに研究の焦点をあててみる。1 本論では、ケース・スタディーとしてアメリカ人兵士を行動的なエージェントと設定してみる。第1次・第2次世界大戦での、文字通り世界規模での兵士の大量派遣は、交通手段の発達した20世紀になってはじめて可能となった規模の、団体による「海外旅行」といえる。それまでにも大規模な民族移動・移民などは歴史上数多くあったが、その多くは帰ってくることを前提としている「旅行」とは性質を異にするものであるし、その規模・移動手段の速さで20世紀的な行動をするエージェントとして兵士・軍隊は注目に値する存在である。 本論では、そのような理論的枠組みで見えてくる20世紀における「きもの」文化を論じてみる。 20世紀前半アメリカで育った若者の多くは、第2次世界大戦で、兵士としてアジア・太平洋方面へ派遣され、アメリカ海軍太平洋艦隊の基地のあるハワイを訪れたし、終戦後は、進駐軍として日本にも駐留した。本論ではまず、彼らが兵士になる以前、少年の頃、「日本製品」についてどのような異文化体験や理解をする機会があったのかについて論じ、その後兵士となった彼らの移動につれ、ハワイのアロハシャツや、日本のスカジャン・ハッピコートについて論じてみる。, [2009~2011年度 文部科学省委託 服飾文化共同研究拠点事業報告]}, title = {「きもの」文化が海外を廻る : 輸出品、アロハ、スカジャンの一考察}, year = {2012} }