@article{oai:bunka.repo.nii.ac.jp:00001842, author = {朝日, 真}, issue = {9}, journal = {文化服装学院研究集}, month = {Mar}, note = {アメリカにおけるアフリカ系黒人奴隷移入の起源とされているのが、1619年8月、アメリカ、ジェームズタウンに漂着したオランダ戦艦が、食料を得るための交換条件として20名のアフリカ系黒人をアメリカ植民地人に預けたことといわれている。そして1641年には早くも、マサチューセッツ州がアメリカ植民地としては初めて黒人奴隷制度を合法化し、やがてその合法化が他の植民地州へも広がっていく。1663年、ヴァージニア州での奴隷身分の母親から生まれた子は例外なく奴隷であるという規定から、アフリカ系黒人という人種によって世襲される奴隷制度が完成することになる。 アメリカ南部の中心であるヴァージニア州の黒人奴隷の衣服についての研究は濱田雅子氏の『黒人奴隷の着装の研究』という先行研究がある。これはヴァージニア州において発行されていたヴァージニア・ガゼット紙に掲載された逃亡奴隷の広告から、アフリカ系黒人奴隷の被服の種類、被服素材の種類や特徴、逃亡奴隷の着装実態を数値化し、その傾向を明確にしたものである。また1997年にBERG出版から発行されたHelen Bradley Foster著『New Raiments of Self / African American Clothing in the Antebellum South』(以下『New Raiments of Self』)には黒人奴隷たちが残した多くのインタビューから、黒人奴隷たちの衣服に関する事実が記されている。それらを参考にして、アメリカ北部植民地と南部植民地では、黒人奴隷制度も大きく違っていた。そのことによる被服の相違は見られないのか。またアメリカ全土でほとんどの黒人奴隷を擁した南部プランテーションにおいて、その衣服の支給や調達はどのようになされたか。またそれらの衣服の素材や製作はどのように行われていたか。素材の織りや染め、または柄は何が多かったのか。最後に多くのアフリカ系黒人奴隷のルーツである西アフリカ文化との共通性は見られるのかなどの考察を、今回主な目的とした。}, pages = {89--99}, title = {アメリカ北部と南部におけるアフリカ系黒人奴隷の衣服についての考察}, year = {2015} }