@article{oai:bunka.repo.nii.ac.jp:00001810, author = {伊藤, 亜希子}, journal = {文化服装学院研究集}, month = {Mar}, note = {世界的不況にみまわれた2008年、アメリカ・リーマンブラザーズが経営破綻したことで始まった金融危機により、経済に揺さぶられ右往左往したことが記憶に新しい。日本でも首相はやたらと交替するが、政治に期待しないこと自体に慣れきった感さえある。オリンピックで盛り上がる傍らで、世界ではいまだに戦争をしている国がある。そんな中、アメリカに黒人として初めて大統領に就任したバラク・オバマ氏の希望に満ちた力強い演説を開き、多くの人が未来を明るいものにしようと思ったに違いない。今年度調査対象の1952年も、第ニ次世界大戦が終わりニュールックの華やかさに浮かれたのもつかの間、1950年には朝鮮戦争が勃発し、世界はまた暗いベールをまといつつあった。そんな中、イギリスでエリザベスII世が即位し新しい女王が誕生したことに世界中が湧いた。世界情勢の重苦しさを、新しい指導者の出現によって未来を切り開いていこうとするスタイルが、2008年と1952年偶然にも重なったことが感慨深い。ファッション界もまた、未来を託す期待の新人がデビューした年であった。  1947年にニュールックが誕生し再び花聞いたオートクチュールの盛行も、いまだ不安定な世界情勢とあいまって1952年には一時の落ち着きを取り戻した感がある。その静けさの中、1952年春夏コレクションでユーベル・ド・ジバンシーがデビューした。ジバンシーはバレンシアガを師と仰ぎながらジャック・ファト、ロゲール・ピゲ、ルシアン・ルロン、スキャパレリと多くの有名メゾンを17歳から修業して歩き、この年25歳で独立し初コレクションを行った。資金不足だったための木綿のブラウスとスカートの組み合わせというスタイルが逆に若々しいと、Harper's BAZAARの編集長カーメル・スノウによるパリコレクション・ファーストレポートで評価されたことによってまずアメリカで人気を得た。初コレクションには多数のマヌカンも協力に駆け付けた。ファトのキャビーヌのマヌカンでありながらグランドポズーズでもあるベッティーナもしかり。人気の絶頂にあったマヌカンである彼女が着用した白い木綿のブラウスは「ベッティナ・ブラウス」と呼ばれ人気を博し、ジバンシーが広く知られることとなった代表的な作品である。そのような時代を読み解くポイントとなるスタイルを探してゆくと、1952年は印象深い作品が多いわけではないが、繰り返し見返すと「モード」というよりは普遍的な美しさを表現しているファッションが多い。その中にあって時にハッとさせられるモダンさが見え隠れする。そのアイムに幾重に検討されたであろう一本のダーツや構造線が陰影深く映えるとき、かつていかにカッティングが重要視されていたかがうかがえる。今日的に言うと、ファッションがもはやスーツやドレスで代弁されることなど無く、ライフスタイルまで合めたあらゆる意味でのトータルコーディネート上に「臭い」か「悪い」、または「好き」か「嫌い」かが論じられる。しかし、1950年代初頭でまず重要視されていたのが、シーム、ダーツ、ドレーピング、カッティングなどの服作りのディテールだった。デザイナーはそこに魂を込めたのである。フレンチヴォーグに毎号プレタポルテの特集ページが組まれるようになった1952年、華やぎつつも確実に衰退の道を歩んでいたオートクチュールのモード。今年度は1952年に調査対象を定め、テーマを設定し、立体裁断による型出しから実物制作に至る過程の中で1950年代ファッションに関して探るものである。}, pages = {93--118}, title = {1952年「赤い服」 : 「1950年代モードコピー」平成20年度活動報告}, volume = {7}, year = {2010} }